kittonの世界

座右の銘は「ゆとり」

祖父の葬式に行ってきた話

こんばんは。本日8月17日 無事祖父の葬式が終わって自室でブログ書いております。

 

一昨日の朝に祖父が亡くなり今日まで親族一同ドタバタしてました。

 

急な訃報にお集まり頂きました皆様には深く感謝申し上げます。

 

 

享年94歳でした。

 

 

 

大往生とはいえ、悲しみに浸る間も無く「親戚への連絡」や「斎場への確認・役所への本籍確認」などの責務を行う両親と叔父叔母に、少しでも役に立てればと思いつく限りのことは動いてきました。

 

 

 

・・・・・・

昨晩は父と叔父とボクの3人でお通夜で葬儀場にお泊りでした。

 

 

葬儀場が家から歩いて5〜10分くらいな近場にあるおかげで、通夜の前の弔問が終わった後の片付けを両親と姉に任せて自分は自宅へ帰り、ひとりりぼっちでお留守番している愛犬の「ライトくん」とお散歩へ行って、お風呂掃除と入浴を大急ぎで終わらせてからお泊まりするために歩いて葬儀場まで帰りました。

 

 

 

ボクの帰宅に狂喜乱舞するライトくんと夜道のお散歩をすることで「葬儀という非日常」から「いつもの日常」に少しの間 引き戻してもらえた気がします

 

 

 

 

 

とはいえ。

 

 睡眠導入剤のお陰で深夜1時過ぎくらいに眠れましたが朝6時には皆、目が醒めました

 

 

 

 

まぁ、普段通りには眠れないもんだよね

 

 

 

 

睡眠の浅い日が続いているから体力的にはかなりキツかったんですけど、ボクがキツいくらいなんだから父はもっとキツかっただろうと思います。

 

 

 

 

「おとき」を頂いた後の内臓のどんより感・・・すごく体がダルかった。。。

 

 

 

 

でも、ボクは徹夜明けのテンションでだんだんハイになってきて、後半は祖父の笑顔の遺影の影響もあってか御焼香してもらって気の毒そうにボク達親族にお辞儀してくださる皆様に笑顔でお辞儀してました。

 

 

 

祖父の気持ちに立ってみれば『暗い・悲しい』葬式より自身の遺影にあるように『笑顔のある・明るい』葬式を望むんじゃないかなと勝手に判断してる部分もあったかも。

 

 

 

葬儀の場で笑顔なのは『亡くなった本人だけ』っていうのは、まぁ、普通なんだろうけど。。。、祖父は格別若くして交通事故で亡くなった訳でもないしな。と。

 

 

 

 

『終わりよければ全て良し』

 

 

きっと誰だって知ってる言葉。

 

 

 

 

 

ボクにとってボクができる最後で最善の行動として祖父の為にできること

 

 

 

 

 

多分、祖父の代わりに弔問に来て下さった皆様に(来てくれてありがとう)と笑顔でお辞儀することだろうと勝手に思いました。

 

 

→もし祖父本人がその場にいたら、「来てくれてありがとう」と『悲しい顔で』お辞儀するとはどうしても思えなかったというか。。。。

 

 

 もちろん、そんなことは前提としてありえない話なんだけどもねw

 

 

 

 

 

 

ボクの『孫』という立ち位置だから許されるというか、看過してもらえることだったかも 

 

 

・・・というか、そもそもほとんどの人が父や叔父・叔母に気の毒そうにお辞儀する中、ボクだけが『笑顔で』返しのお辞儀をしていたことに気づいてないかもですけどね

 

 

 

 

 

とにもかくにも無事に葬式を終えることが できました!

 

 

良ーい葬式だった!!