kittonの世界

座右の銘は「ゆとり」

『いつか輝く』ために。

仕事休みでしたので神社参りに行ってきました。

 

本当は1日である昨日行きたかったのですが、朝から晩まで仕事だったのと同時に、休憩時間の短さと天気の悪さもあって行けずじまいでしたので。

(それにひたすらエアコンのフィルター洗ってたしね。)

 

今日はありがたいことに曇り空ではあったものの、雨は一切降っていなかったので傘をさす必要もなく参拝できました。

 

1日、15日に神社参拝することを

 

お朔日参り(おついたちまいり)

 

と呼ぶのだそうです。

 

『神様への挨拶』と『新しく始まる月に真摯に向き合うため』に行うもので、自分自身をリセットするための行為ですね。

 

ボクはなるべく毎月『高樹神社』に参拝しています。筑後国一の宮と呼ばれる「高良大社」がある高良山の麓にある神社で、存在を知らずに通り過ぎるだけの人も多いのではないだろうか。

 

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こちらには高皇産霊神タカミムスビノカミ)が祀られていますが、かなり変わった伝説がある神社でもあります。それがこちら

 

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簡単に要約すると、「善意で自分の家を貸してあげたら乗っ取られてしまった。」

 

という衝撃的な伝説。

 

この看板を見る限り、怒りに震えて戦を起こしたとか、呪いをかけたなんて話は一言たりとも載っていない。

 

 

 

 まぁ、あくまでも伝説。神話の話。

 

神様の世界の設定?(←失礼だったら申し訳ない)

 

あんまりツッコんだ話してるといろんなところから叩かれそうだから怖いけど。。

 

だけど、、、

 

少なくともボクは

 

高樹神社に祭られているタカミムスビの神は

 

「器がとてつもなく大きいなぁ」と思った。

 

まさしく

 

「神様の中でも真の神の器」

 

を持っているんだな。と読んでいて感じた。

 

だってそうじゃないですか?自分の大切な居場所を失っても、元いた山頂ではなくずっと下の方の麓に鎮座してそれを許しているんですよ?

 

神様レベルの話なんだから、怒りや悲しみで

 

大雨を降らせ続けて洪水を起こしたとか、雷をドッカンドッカン落として甚大な被害をもたらしたとかあってもおかしくないじゃ無いですか?

(まぁ、被害が出るとしたら人間の方なんですが。)

 

 

 

これはボクが勝手に想像していることですが

 

もしかしたらタカミムスビノカミは

 

「過去」にいつまでも囚われて、怒りや悲しみ、憎しみや恨みから心を腐らせてしまうのではなく、

 

「前を向いて”次へ”進む力の大切さ」を説いているのではないだろうか。

 

と思っています。

 

良い方向へ自分から進化・生まれ変わり続けていたら

いつか輝く時が必ず来る。

 

 そして

 

「悪いことした奴はいつか必ずその報いを受ける。」

 

当っっったり前の話だろうよ。

 

 

 

 

 

 

「他の人は誰も知らない。誰も見てない。バレてない。」

 

でもさ

 

「”自分という人間”は一番近くで自分のやってることを見てるし一番近くで聞いている」って事に気づいていない。

 

 

「うしろめたさ」って消えないからな

 

一生。

 

「その時」だけはいいかもしれない。でも長い長い時間、毒のように自分を苦しめる事になる。

 

 

だから

 

どこの誰が悪いことしてて、それが「(ちょっと悪いことかもしれないけど?)やって当たり前のこと・普通のこと」のように思えたとしても、

 

 

「自分はそうはならん!!」

 

”自分だけは”正しく生きよう

 

と思わなきゃいけない。

 

 

そんな風にボクは読んでいるから高樹神社に参拝する度に「心の勇気」を頂いています。

 

生きてる間はお天道様に胸を張って生きて行きたいものです。

 

そういうわけで、参拝によって「心のリセット」をさせてもらい、

 

『正常』であり『清浄』へ引き戻して貰える気がしております。

 

 

皆さんも「お朔日参り」してみてはいかがでしょうか?