大予言者への道のりは「今日という日」の計画から
昨日の宣言通り、今日はお朔日参りできました!!
買い物関係で予定していたものは全て見て回る事が出来ました。
ただ、運動はできなかったですね。。。。
陽の照りが強くて夕方18時くらいにならないとなかなか・・・
でも夕方6時には晩御飯を頂くわけで。
食った後すぐ走れるかっちゅーねん。
代わりに犬のライトくんの散歩に行ってきました。
流石に19時の夕方にもなると陽が落ちかけていて暑くなく、犬のお散歩に出ている人たちが多かったですね。
ワンちゃんは裸足だから灼熱のコンクリートの上を歩かせるのはかわいそうですしね。
とはいえ、体を日焼けさせたくないがためだけに運動に出なかったわけではないです
ボクがガチで外に運動に出るときは、かなり暑い16時ごろに顔と腕に日焼け止めを塗りまくって公園を走り始めるので。
本日運動に出ることが出来なかった本当の理由は
「今日の夕食は外食に出るから」と言われていたから
なので今日は待っている間に久しぶりに触ったギターの弦が切れてしまったため、『ギターメンテナンス』をひたすらしてました。
結局外食に出るという話も流れてしまったのですが。。。
うーん。今日はなかなか運動とか外食とか『やろう』と思ったことが出来ず終いで1日の後半は空回りな気分でしたが、半年ぶりにギターの弦替えとオイル塗り・防錆などのメンテナンスが完了したのでとりあえずはよしとしときます。
今日はたまたま「弦が切れてしまった」からすることができたようなもんでしたが、やはり普段から「しないとなー」と思っていることは『リスト化』しとかないと思い出せないですね。
例えば、普段履きの靴を洗うことだったり、洗車だったり、タンスの中の洋服類の整理整頓だったり(←特にボクは普段Yシャツ生活がほとんどだから衣替えをし忘れてタンスの中にまだ普段着用の冬服が入りっぱなしだったりする)
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映画で
『最高の人生の見つけ方』という洋画がある。
ボク的にあらすじを略式説明するが
「二人の老人が病室で出会い、共に半年しかない余生を思い切り楽しんでやろう。」という内容の映画なんですが、この映画の中に出てくるのが、
やりたい事を紙に書き出した
やりたい事リスト
というもの。彼らはこのリストに書かれたありとあらゆる「やりたかった事」を実践していき、自分の人生にとっての”最高”を見つけるというもの。
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話を戻すが、別に「ここまで大掛かりなリスト」を普段から作ろうとかいうつもりはない。
でも無計画な1日と計画・予定のある1日だとその充実度が全然違う。
ボクは昔から
「1日という人生」
という考え方をする時がある。
今日ボクが目覚めた瞬間がボクの生まれた時間。次に眠りにつく時が死ぬ時だと考えて今日を送るとして、後悔しないように生きるにはどうしたらいいだろうか?と考える
(数年に1回あるかないかぐらいなものだが、起床後数分間自分の名前すら思い出せないほどに寝ぼけ方がひどい時があったからそういう考え方をするに至った。)
やりたいことを決めておかないと今日という一日はあっという間に終わってしまう。
そんな毎日を送っていたら「今日」の積み重ねである「一生」もあっという間に終わってしまう
明日隕石が降ってきたり大地震や津波が寝ている間に起きて絶命しようものならまさしく「今日」が最後の日になってしまうので、あながち想像だけの話でもない。
今日も明日も明後日も全部つながっている。
予定が狂ったから「何もしない」んじゃなくて、常に今できる事を考えて動く。
やっぱりそのためにも普段から「やりたいこと」をストックしておく方がずっと効率的ですよね。
『小さな後悔の種』を忘れずに消化していく事ができるようになる
それにボクは「今日やりたいこと」を考えることは今日1日の未来の予言をしている事と同義だと考える。
そりゃあ、予言が外れることもある。だけど予定通りに計画を実現できれば「予言」を的中させる事と同じ結果ですからね
そんな風に考えていると「自分の未来をコントロールする自分にとっての奇跡の予言者」みたいでなんだかすごいなぁとか思っちゃう。
まぁ、結局自分なんですけどねw
小さなことから一つ一つ積み重ねて、消化していって、大きな幸せに結び付けられるような大予言者になりたいものですね。
皆さんは「今日」自分にとっての「本当にやるべき事」が出来た人生だったでしょうか?
なるべく一人でも多くの人・家族に優しく親切に出来た一日だっただろうか?
あなたにとっての最高の人生(=1日)を送れたことを祈る。